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結局、想像力(イマジネーション)ってなんなんだ?

1 :名無しさん名無しさん:2010/07/01(木) 17:07:31
漫画、小説、映画、芸術でもなんでも
そういうジャンルや技法に関係なく、結局
「想像力」が作品の品質を決定づけるわけだけど

「想像力」ってなんなんだ?

2 :名無しさん名無しさん:2010/07/01(木) 20:25:06
経験の蓄積と、それの整理能力じゃね?
何より刺激を求めたり感動する心が大事なんでは

3 :名無しさん名無しさん:2010/07/01(木) 20:54:15
妄想と紙一重

4 :名無しさん名無しさん:2010/07/02(金) 05:41:51
ずっとイメージは脳内の産物だと言われてたけど
よく考えると違う。皮膚とか目とか感覚器官がイメージの源

5 :名無しさん名無しさん:2010/07/02(金) 11:13:51
五感による情報吸収が最重要だろうが

資料集めと言ったらネットの視覚情報ばかりでなかなか
手足で触れる機会が少ないのが口惜しいところだな。プロの取材費がうらやましい・・・

6 :名無しさん名無しさん:2010/07/02(金) 12:20:26
知覚が研ぎ澄まされる鍛練や環境づくりをするべき
でも具体的にどうすりゃいいのやらわからん

7 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 00:56:15
イメージ・・要するに脳内活動のことだけど
「記憶」だけでなく「再生」の力が必要になってくるんだろうか

色んな経験をした方が創作にプラスされるのは確かだが、それだけの話なら
マンガに携わってない人間にもそういう人物はたくさんいるし。

やはりマンガとして「再生」できる力も関わってくるんだろう。その力は一体どういうモノなのか


8 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 01:22:26
世界観を想像する力・・・つまり
五感レベルでリンゴとミカンの違いを識別でき
なおかつ原子のように世界観を構成する要素を統一できる力・・

それが理論のレベルでなく感情・血肉をもって神経伝達レベルで
ペン先の動きと符合し、そして漫画に関する技法や理論とも連合させる力・・

それを行わんとする性的衝動・社会的動機。
つまり「自分と他者との関係・交流」という普遍的で根源的な
シンプルな議題に結局、ぶちあたるわけだが

9 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 01:47:20
結局イメージは「自分の感じた事」だが、それを表現するにせよ、吸収するにせよ
他者との関係・交流無しには実現しないはず。しかし自分の主観無しにも実現はしない

ならどこに根源的要素があるかと言えば、自分と他者とを隔てるその「境界線」にある

漫画で言えば現実と仮想の境界線。又は自分自身とキャラクターとの境界線か。
躍動する肉体を描く時には、他者であるモチーフへの視覚的・手触りの記憶と
自分自身の肉体が経験した動作の神経的記憶や触覚の記憶

つまり「自分と他者」の境界線をイメージの上で取り払い、
混合・反応させて1つのキャラクターを産んでいることになる

自分自身の肉体という有限なる時間的感覚が、想像に血肉を与え
他者との交わりによって想起されたイメージの無限性が、想像に広がりを産む


10 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 02:03:43
「自分と他者とを混ぜ合わす」それがイメージ。
人間と馬を繋げてケンタウルスにしたように。

しかしそれはただグチャグチャするのとは違い(混沌もイメージかも知れないが)
両者の性質を識別して解体する力があって初めて、有機的に再構成する力をも同時に持てるわけだが
(ということは自分と他者とは本来、混合されてるモノなのか?)それはさておき、

他者と自由に交わる想像力には、「自分の肉体」という物理的限界がある
しかしこの有限な肉体の濃密な体験・感覚がイメージに投影してなければ想像にパワーは産まれないのは周知の通りだ。

「どんな観念や思想も、肉感を持たないモノは人を感動させない」

三島由紀夫

自分の主観だけではイメージは膨らまず、客観だけではイメージは筋力を持たない

自己と他者との境界線を、血肉を抱えたまま
突き破り、触れ合う力がいるのだろうか?



11 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 04:00:27
たしかにイメージであるケンタウルスを有機的に実現しようとするなら
人間の下半身を切断して馬にくっつけないといけないわけだが・・

それはできないだろう。だからフワフワしたイメージに
有限である己の肉体の実感を搭載する事によってパワーのあるモノにはできても
実現するのは限りなく不可能に近い。しかしそれに向かわないとイメージに肉感は持てない。

「精神はたえず疑問を作り出し、疑問を蓄えてゐなければならぬ。精神の創造力とは疑問を
創造する力なんだ。かうして精神の創造の究極の目標は、疑問そのもの、つまり自然を
創造することになる。それは不可能だ。しかし不可能へむかつていつも進むのが精神の方法なのだ。
精神は、……まあいはば、零を無限に集積して一に達しようとする衝動だといへるだらう」

三島由紀夫「禁色」より


12 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 04:21:28
自分と他者との間にある精神活動そのもの
それこそが人と人とを繋ぐ「社会」であり

「人・間」といふことなのだらう。人工物はその媒介になったモノか

13 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 04:53:07
想像とは肉体の別の形態をとったモノに過ぎないということか

14 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 20:21:56
>>9>>10>>11
イマジネーションが自分と他者との混合なら
他者のイメージからも影響は受けるはずじゃん。でも道を歩く他人を
スケッチブックで描くことはできるが、そいつのイメージをキャッチしてるわけじゃないだろ?

15 :名無しさん名無しさん:2010/07/09(金) 20:36:24
>>14
「他者」は少し誤解しやすい言い方だったと思う

言い換えれば「もう一人の自分」「己の分身」といった方がいいか。
道歩く他人をA君とするなら、A君を観察して想像を膨らました時点で
もうそれはA君ではなく自分の脳内で作り上げたイメージ“B君"に変貌してるわけで
それが人間の認識というやつだ。ヒトは他人なんて真剣に見てない、大概
自分勝手な観念と人生体験からそいつにレッテルを張り付けて済ますのであり

むしろヒトはそこから抜け出せないからゆえに孤独なのかもしれない

話が逸れたが、イメージとはそういうモノだ。だからこそイメージは
いつも現実に裏切られるし、それが疑問を産み、探求心にも繋がっていく。

イメージを現実に裏切られるモノと自覚しながら
リアリティに近づけていく作業をいわゆる「創作」と呼ぶのかもしれない

16 :名無しさん名無しさん:2010/07/15(木) 16:46:28
想像力ってのは商業的には想像の広がりと親しみやすさを言う。(人数×感情移入深度=親しみやすさ)
非商業的な意味でいくら優れた想像力があっても他人が感情移入できない世界に価値は無いわけで。


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