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【10点】みんなのアニメレビュー その13【0点】

1 :メロン名無しさん:2008/08/29(金) 11:42:09 ID:1JRay0RA0
ここはアニメ作品のレビューを書くスレです。
あなたの見た作品に点数をつけて
その作品の良い点、悪い点についてコメントしてください。

※お約束
・点数は0点から10点まで
・レビューのレビューは不要
・変な人はスルー
・信者、アンチは空気を読んで

前スレ:
【10点】みんなのアニメレビュー その12【0点】
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1194520142/

まとめサイト:
http://www.geocities.jp/pretty_kummer/
http://www12.atwiki.jp/teltel55/pages/1.html

36 :メロン名無しさん:2008/09/17(水) 00:31:49 ID:???0
>>24-25
3段落目から書き直したのは、ブログ用だからですが、苦労の割には、どうも実りがない。第1稿は、9/8エントリ(就活を思わせ、忌まわしい)ルルーシュに合わせ、
ナナリーというタイトルに出来、こうすればアクセスも(ほんのちょっと)増えたのかもしれませんが、第2稿では、ナナリーも名塚佳織も消してしまい(CMに合わせた)、
世界平和というタイトルにするしかなくなってしまう。
私たちも、昔なら、世界平和など語らなかったでしょう。今までの声優中心の関心から、広々とした視野を獲得し、整形という若い女たちの領域さえ語りうることを示しつつ、
脱兎のごとく嫌っていた朝日的なものとも和解している。そういっていいのではないでしょうか。少なくとも、これを読んで、中二病を疑われることはないでしょう。
もちろん、朝日には実体などないので、和解などありえないのですが。
このCMは、セカイ系的な読解にも開かれています。世界とは、私である(注)。世界は、私の自意識の投影だから、私の自意識が幸せなら、世界も幸せである。おそらく、
これが正しい読みだといっていいのかもしれません。しかし、あえてそうは読まず、まなざしの地獄ともいわれる、他者のまなざしから読んでみた。
とても近代に即した読みではないでしょうか。これなら、ハーバーマスとも仲良く出来そうです。
懸念があるとすれば、どうもウィトゲンシュタインかぶれしたのではないかという印象を与えることでしょう。分析哲学はほとんど知らないのですが、
確定記述などという用語を勘だけを頼りに使ったのは、9/8のルルーシュの延長として、書かれているからです。しかし、ルルーシュは、A4、1枚書いているのですが、
シニフィアン、シニフィエなどの言語学の用語はアナロジーとしてしか使われておらず、また、ラノベしか読んだことのない人に、
私小説について語っても仕方ないにもかかわらず、文学史を語っていて、さらに、書いたもの自身、論理が把握し切れていないことは否めません。たぶん、
最後まで読んだ人はほとんどいないでしょうし、意味を分かった人は皆無でしょうから、その延長というのは、ただでさえ少ないアクセス数を考えれば、
止めた方がよかったのかもしれません。
いえたことも、大したことではなく、take care of yourselfということだけで、それが、揺らぎのないI need youの前提であるという、
どうしょもない自己啓発セミナーでも行ったのではと疑われかねない論旨になっている。これをいうために、分析哲学の用語を用いるのは、迂回でしかないでしょう。

37 :メロン名無しさん:2008/09/17(水) 00:33:42 ID:???0
付記1田口賢司「メロウ」の1章は、死とは何か、という問いに対して、エルビスプレスリーの2番目のあごである(太りすぎて、あごが二段になってしまった…。)と答え、
また、マイケルジャクソンであると答えている。2番目のあごについていえば、人の人体は、確定記述の束ですが、当初の束には、あごは一つしかない。よって、当初の束には、
あごが大きいとか小さいとかはあっても、2番目のあごは含まれていない。つまり、後から加わるのであり、いわば癌のように、余計なものである(癌は、主語としては、
当初の束にない)。癌を外科手術で切除するように、2番目のあごも整形の対象となりえよう。資本主義の欲望の漸進的横滑りが、到達したのが、
2番目のあごである。それは、死であるといってよい。マイケルジャクソンは、それそのものが2番目のあごである。彼の顔は、当初の束が、整形によって、
全て置き換えられてしまっている。つまり、素顔がそのまま仮面なのである。それは、レヴィナスのいうところの顔が、もはや消尽していることを示している。
仮面の告白をキャリアの原点とする三島由紀夫は、ゾンビであるが、マイケルジャクソンも、同じくゾンビなのである。
付記2自分を愛することが大切で、そのために整形するのは、世界平和に辿り付く道であると、われわれは述べているけど、自分を愛するというのは、
ありのままの自分を愛するということだ、というような批判が考えられる。韓国では整形は受け入れられているが、日本ではそうではない(ような気がする)。おそらくは、
ありのままの自分などという概念は、韓国では広く受け入れられないのでは。そもそも英訳できるのか。ありのままの自分というのは、フロイトなどを通過した現在では、
ライヒのように、ありのままの欲望に従い生きるということなのであろうか。あるいは、欲望とは他者の欲望だから、そういう他者から自分を出来るだけ引き離すことで、
天使のようにピュアな「ありのままの自分」でいられるということなのだろうか(これは、日本的といえるかもしれない)。
許しとは、許しえないものを許すことだというデリダの発想は、たぶん、このような文脈でこそ真価を発揮する。自分の胸が許せないというのは、あるうるからだ。
身近なもので、到底許しえないものは少なくない。ねじまき鳥クロニクルの妻・久美子は、花柄のトイレットペーパーは許せない、といっているが、
結婚とは、無数の花柄のトイレットペーパーのことであろう。たしかに、許しとは許しえないものを許すことなのである。

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